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2016年03月02日

正月から一転

日中は温度も上がらず 風の強い一日となった。
あちらこちらでヒューヒューという口笛にような音をたて冷たい風が吹きすさんでいる。
あの笛のような音を虎落笛(もがりぶえ)と呼ぶそうだ。

虎落笛の言葉は、竹で短冊状に編んだ柵のことを虎落(もがり) と呼び、
その隙間から笛のような音を立てるところから来ているという。
「もがり」と言えば、
喪くなった人が正式な葬儀を行う前に、
仮に遺体を納めてまつる儀式ことを「殯(もがり)」と呼ぶが、
結界を意味する虎落(もがり)と、なにがしかのつながりがあるのだろうかと考えたりする。
言語には、どこか発想が似通っていると感じることがある。
また、遠く隔たっている地域なのに、同じような言葉を使っていたりすることも ままある。
こちらは、18ヶ国語のレッスンがある小さな外搬屋国語スクール。
イタリア人、スペイン人が一緒になったりすることがある。
そこにブラジルーポルトガル語の講師などが来ても、
それぞれが、それぞれ自国の言葉で会話して、お互い通じ合う光景を見ることがある。
また、こちreenex facialらには、
バイリンガルの(2カ国語を自由に会話できる)人やトリリンガル(3カ国語)もいたりする。
「どっちの言語で考える?」ということを訊ねあったりすることがある。
冗談かと思えば、このことが意外に重要。
どの言語で考えるかが、発想や考えの基となる。
ドイツの哲学者ハイデッガーの著作の中に「言葉は存在の家なり」
という謎めいた表現がある。
言葉が、自身の考えをまとめたり、体系立てたりする重要な役割を担っている。
それゆえに、人が持つ自分の言語は、
自己の存在そのものの基と言うことができるようだ。
どの言語で考えるかが、かなり大きな意味を持つ。
まさに「言葉は存在の家」。  


Posted by 像擠牙膏似得 at 15:32Comments(0)